出る台を求めてパチンコ店行脚の時代

出る台を求めて、ホテルに泊まりながら全国(主には西日本)の駅前繁華街のパチンコ店を渡り歩いたのでした。

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2007年09月23日(Sun)▲ページの先頭へ
出る台を求めてパチンコ店行脚の時代


私がパチンコを仕事として始めたのは、18歳からです。以来今日に至るまで、打ち続けていますが、この間、パチンコ台も随分と進化してきました。
当初の一発一発手打ちでチュウリップ(玉が入賞穴に入るとチュウリップが開き次の玉がすぐに入賞して閉じる)付きの台、やがて玉打ちは電動式になり、入賞穴もチュウリップ以外にいろんな仕掛け(当初の機械式から次第に電気式で作動するもの変化)のものが出て来て、その後に今日の大当たりで一気に一定量の出玉が出るヒーバー台へと変貌してきました。
これらに応じてパチンコの勝ち方も変えねばならず苦闘しました。

一発一発手打ちの台で勝つには頭ではなく、腕が要りました。左手で打つ玉を流し入れ(これはまもなく自動になった)、右手でハンドルを打ち、同じ位置に落せるような技術が要るのです。この技術さえ身につけていれば、多く入賞穴に入る位置はすぐ掴めます。後は時間の経過と共に出玉は増えてきます。幸い私は、小学生からの友人の父がパチンコ店経営をしていたので、中学・高校時代はろくに勉強もしないで通い詰め、無料で打たせてもらっていた(勿論出玉を出しても儲けもなし)のでこの技術は抜群になっていました。
このころ。一点目指して流暢に打てる人は1店に1〜3人程度の状態でした。ただ、このころは1台の出玉量は制限されていて打ち止め(終了台)になり、次の台に移ることを強制されます。また、毎日勝っている者はプロと看做され夕方4時〜5時になると店から出て行かねばなりませんでした。この時代に稼ぐ最も良い打ち方は、1台終了するとその店の残りの良い台を見つけ出すのではなく、直ちに次の新しい店に移って終了台(終了すると打ち止めの札が付き空き台となっている)を開放してもらって打つことでした。



断っておきますが、当時の私の腕では、終了しても同じ店の残りの台から、再び終了する台を見つけ出すことは、それほど困難ではなく、事実、同じ店で何台も終了させてもいました。しかしこれを続けるとプロと看做され、その店で遊戯しづらくなるのです。1日で5〜6台を終了させる最良(最短時間)の方法は次々と店を渡り歩いて開放台を打つことでした。
開放は原則として素人に限られていたので、その対応策として、京都市内のお店で顔を覚えられると郊外、やがて大阪・神戸……と足を延ばして新しいお店を次々渡り歩きました。戦場は主に西日本でしたが各県の県庁所在地の駅前を草刈り場のターゲットに放浪して回りました。
パチンコ店の店員に素人と認識してもらうため、ジャンバー姿ではなく、スーツにカバンを持ち歩き、いかにもサラリーマンといった風体でパチンコ店行脚をしていたわけです。このころは、後に述べる黄金期に比べれば稼ぎはたいしたことはなかったのですが、それでも貯金通帳の金額は日毎に増えていきました。

しかし、この順調な時代もやがて陰りが射し始めました。
玉打ちが電動式になったのです。玉を親指で弾く必要がなく、ダイヤルをもってさえいれば玉が自動的に跳んでくれるのです。楽なこと、このうえないのですが、私にとっては受難の始まりです。
何故かというと、玉を一点に弾く腕の能力が発揮できなくなったのです。素人でも女性でも私と互角に玉打ちができるのです。
台の選択は今まで同様終了台漁りで良かったのですが、玉の弾き方の優劣の差がなくなった分、成績は下方修正を余儀なくされました。折しも運悪くこのころになると、近畿圏・西日本の国鉄(JR)主要駅前繁華街の大半のお店ではプロとして顔が知れ渡るようになってしまい、終了台の開放が思うにまかせなくなってきました。生活費程度の稼ぎはありましたが、貯金通帳の金額増額はピタリと止まってしまいました。
ここまでが私の放浪の時代です。



このブログの題名の「放浪記」とはまさにこのころ迄の事なのです。ホテルに泊まりながら駅前繁華街のパチンコ店を渡り歩き、次々と終了台のみを開放してもらって打ちまくっていたのです。
終了台を開放してもらってもそれらの全部の台を終了できた訳ではなかったのですが、約6〜7割方は終了させていました。このころのことを思い出すと、儲け(電動式が現れる迄の話)の方は、人並み(プロとしての)で、それほど誇れる金額ではなかったのですが、それよりも、「出玉・稼ぎ高競争、超プロやゴト師(不正な手段で出玉を操作する人)との出会い、女性プロとの出会い、プロ同士の玉や台の横流し、バカ勝ち後の豪遊や屋台での飲み明かし、些細なことでの喧嘩等々…」いろんなことに遭遇しました。まさに悲喜こもごもで、私の人生で最も思いで深い時代でした。

これら放浪時代のことを小説風に書けば何冊も書ける気もしますが、私にはそのような文筆能力もなく、今後折りに触れ簡単に紹介するに止めます。
時は移り、やがて開放台を求めての放浪の旅はしなくてもよい時代になってきました。IC基盤によって大当たり(一気に一定量の玉が出る)が決まるヒーバー台が登場したのです。この台の出現は私のパチプロとしての大きな画期となりました。真のパチプロへの開眼です。
これらに関しては次回以降にてお話します。




   


私(不動 忠)は30数年もパチンコ一筋で暮らしてきて(滅多にいません)、パチプロ集団「鉄心」を主宰しています。
パチンコ界では、安定的に稼いでいくことは容易ではありません。ほとんどの人がトータルでは僅かな稼ぎか負けています。
パチンコ界で、真のプロとして生きている人は、数える程しか居ません。
皆さんにこの現実を知ってもらって、深入りしすることのないように、また若い人が安易にパチプロを目指すことを少しでも躊躇してもらうため、このブログを書き、公表することを決めました。


パチンコ必勝法については、ホームページやブログで、多数主張されています。
そのほとんどは、攻略法を販売する営利目的でページを公開しています。
ですが、ある方法で打てば即ガバガバ稼げるといった夢のような方法などありません。
私のこのブログは、「パチプロの厳しい実態と、本物のパチプロがどのような方法で稼いでいるのか」の、2つの公開を目的(非営利目的)としています。
尚、このブログで、「こんなことを書いて欲しい、教えて欲しい」の希望があれば、連絡ください。なるべく希望にそった記事を書きたいと思っています。
尚、筆者の個人的メールは下記の通りです(ウエブ上のメールです)。
salon777@mail.goo.ne.jp

カレンダ
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